縄文の炎🔥と雨キャンプ⛺️、デジタルIDとこれからの自由について考える✍🏻

先日、自作した縄文土器を「野焼き祭り」で焼いてきました。ここは岡山県新見市にある縄文土器に特化した珍しい美術館です。

館長もマスコミのインタビューで話していましたが、絶望の足元には縄文の希望の種があると。ここに集まる人達は不思議な共通点があります。

最近、世界中で「デジタルID」に関する法律や制度が次々と進められています。
この話題は、単なる政治論争ではなく、私たちの暮らしや自由に深く関わるテーマです。

デジタルIDとは、医療・銀行・旅行・税金などの情報を一つの識別データに統合しようとする仕組み。
一見便利に感じられますが、同時にプライバシーや個人の自由をどこまで守れるのかという課題もあります。
例えば、すべての行動履歴や利用履歴が紐づくことで、
社会の効率化が進む一方、誰がどの情報を管理し、どのように使うのかという懸念も生まれます。
これは「安心と便利さ」と「自由と自立」のバランスの問題とも言えるでしょう。

🧭 世界で広がる議論と人々の反応
イギリスでは、デジタルID導入に対して270万件を超える署名が集まったというニュースもあります。
人々が懸念しているのは、“仕組みそのもの”よりも、それがどう使われるかという点です。
便利な道具であると同時に、管理や制御の手段にもなり得るからです。
こうした議論は決して「陰謀」ではなく、
今の時代を生きる私たちが「テクノロジーと自由の関係」を見つめ直すチャンスでもあります。

🌿 いま、私たちにできること
シェアハウスSPOOKYSを運営している立場から見ても、
“人と人が顔を合わせてつながること”の大切さを日々感じます。
便利さの裏で、少しずつ失われていく「生のコミュニケーション」や「信頼の感覚」。
これこそが、人間社会の本当の豊かさだと思うのです。
テクノロジーは悪でも善でもありません。
大切なのは「使い方」と「意識」だと感じています。
だからこそ、一人ひとりが考え、話し合うことが大切です。

🏕 最後に
私は時々キャンプをしながら、このようなテーマについて静かに考えています。
焚き火の前にいると、便利さや効率よりも、
「人として何を大切に生きたいか」という原点に戻れる気がします。

もし、こうした話に共感してくれる方がいたら、
一緒に語り合いましょう。
テクノロジーと自由、人と人とのつながり――
その両立を考えることが、これからの時代の希望だと思います。



