テレビの影響力について考えてみた。思考と情報の距離感
最近、「あれ? なんでみんな同じ意見なんだろう?」と感じることが増えました。
情報に囲まれた時代だからこそ、「何をどう受け取るか」が静かに分かれ道になっている気がします。
今回は、“テレビ”という存在について、少しだけ距離を置いて見つめ直してみました。
昔からテレビは、家庭の中心にありました。
ニュース、バラエティ、ドラマ、討論番組――私たちは、いつの間にか「映し出された世界」が現実そのものだと錯覚しがちです。
もちろん、テレビがすべて悪いわけではありません。
でも「一方向からの情報」に長く触れていると、知らず知らずのうちに“思考の形”まで整えられてしまうような気がするのです。
例えば「ある特定の話題しか取り上げられない」「登場する専門家がいつも同じ」など、気になったことはありませんか?
それが意図的かどうかではなく、「そういう情報の流れになっていること」自体が重要なサインかもしれません。
私は最近、テレビの音を消して、映像だけを眺めてみることがあります。
すると、音声に乗っていた“空気”のような圧がなくなり、少しだけ自分の感覚が戻ってくるような気がするのです。
情報に距離を置くというのは、何かを疑うためではなく、自分の感性を守るための習慣かもしれません。
終わりに:
テレビに限らず、あらゆるメディアとどう付き合うかは、
“今という時代をどう生きるか”とも深く関わっている気がします。
思考を預けすぎず、でも閉じこもらず、
そんな“ちょうどいい距離”を見つけるために、これからも自分なりの感性を大切にしていきたいと思います。