【新企画】【第1話】スプーキーズ誕生秘話…それはアメリカ起源🇺🇸

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19歳のあたし。我ながら誰だこれって感じ
今は49歳ですから苦笑 車は日産NXクーペ。

 

 

 

 

 

こんにちは。いつもブログを見に来てくれてありがとうございます。シェアハウス スプーキーズを運営して早いもので、もう5年超となりました。

 

 

 

 

 

スプーキーズで沢山の若い方々と色々なお話をしてきましたので自分の生い立ちや体験を踏まえて、今日からしばらくの間、私がいつも必要だと思う「体験」をテーマにじっくりとリアルな話しをしてみたいと思います。

 

 

 

 

 

今回みたいな、がっつりブログを書くのは久しぶりですので、まともに書けるかはわかりませんが、もし、好評ならしばらく続けてみます。ただ、このシリーズで今後話す内容はあくまでも全て個人的な主観や体験だけによるものですので、シェアハウスから少しズレるかもしれませんが予めご了承ください🙂

 

 

 

 

 

全部で10話を予定してます。… 減らすかも増やすかも知れませんが、もし興味がある方だけ読んでくださいね。これは読まなくて良い話です。いや、第一話は恥ずい内容だから読まないでください。内容はタイトルのとおり。だから読まなくても大丈夫です苦笑

 

 

 

 

 


これはベガスかな。。わかんね。

 

 

 

 

 

第一話から、私ごとで大変恐縮ではございますが、私自信の体験談から、なぜスプーキーズが誕生したのかを先に話しておこうと思います。タイトルにもあるように、スプーキーズの起源はアメリカであった。本当のルーツはアメリカ🇺🇸の片田舎からです。

 

 

 

 

 

僕は今から遡ること30年前、アメリカ🇺🇸のウェストヴァージニア州のとある小さな町にいました。たまにダウンタウン(チャールストン)では殺人があったり、田舎すぎて鹿はでるし、たまにホラー映画のロケ地に使われている場所でした。アメリカは銃社会であり、日本ならヤクザか警官ぐらいしか持ってないから、不慣れなせいか随分と物騒な国と思いました。そう、当時まだ19歳だった私は初めての海外がまさかの留学であった。初めて食べたのはスニッカーズのチョコ。日本にもありますよね。

 

 

 

 

 

1人で渡米したもんだから、色々な目にも遭いました。普通なら事前に調べて行きますよね。でも僕は全く何も用意をしなかった。。自分でも何故だかわかりませんがあの頃の自分は無謀でアホ過ぎでしたね。

 

 

 

 

 

アメリカに到着した時の話。NYにあるJFケネディー国際空港だっけ、、名前は忘れましたが、そこで方向音痴(今でも健在)な私は、だだ広いあの空港でまず迷子になり、乗り換えの飛行機には乗り遅れるわで、てんやわんやで大変でした。

 

 

 

 

 

道を尋ねても、僕のカタカナ英語は全く通じないし、デカくて怖い黒人にどやされたり、そりゃあもうアメリカに到着してから、疲れてるのに最初から頼る人も誰もいなくてめちゃくちゃでした。あれ以来、トラウマになってるのか一人旅が異常に嫌いになっている。

 

 

 

 

 

NYに到着し、TWAという国内線の飛行機に乗りかえ、ニューヨークからクラークスバーグまで行くわけですが、その空港内での移動バスがスッチー専用のバスでしてね、アホな自分は何食わぬ顔してバスのシートひ座っていた。ふと、冷ややかな視線を感じ、周囲を見渡すとそこには何やら同じ制服を着たアメリカ人がたくさん入ってきた。

 

 

 

 

 

あれって思い、やっとバスを間違えていた事に気付く。今思えば、どうやったら、そんな間違いをするんだろっていう有り様です。そして時間がなくなりやっとの思いで目的地に到着するわけですが、あの空港内の話はこれで終わらないのですが、かなり話しが長くなるからこれで割愛します苦笑

 

 

 

 

 

そしてアメリカ🇺🇸で住んでいた場所はドミトリー。そこは日本人もいて全員で100人位が住んでいた。そう、あれはシェアハウスです。ここからは、やっとシェアハウスの話ができます。今思えば、私はシェアハウス経験者だった。

 

 

 

 

 

いまだにスプーキーズに1日たりと住んだ事もありませんが、海外でシェアハウスを既に経験していたみたいだ。今日まで気がつかず、シェアハウス経験はゼロと思っていたが、それは間違いだった。アメリカだったからか、呼び名がドミトリーであり、あれがシェアハウスだったとは今頃気が付いて、驚いている自分が誇らしくもある笑

 

 

 

 

 

アメリカでは、食事をする場所が大学内にあるカフェテリアで無料でした。シェアハウスからは少し離れていて、とても不便でしたので、主に部屋で自炊していました。カフェテリアに行けば何故か味噌汁とご飯もたまにはあるのだが、それはとてもお粗末であり、少し臭みがあり不味かった。

 

 

 

 

 

米はカリフォルニア米で、粒がデカく、味は少し古くなった感じ。でも、僕は米が好きで不味いが必ず食べてましたね。でも慣れたら意外にも食えるようになる。ミルクやスープをかけたりして臭みをとばしながら、自分好みに工夫をするようになる。アメリカでも特にマヨネーズは最強の調味料でした。

 

それから自炊とはいっても、スプーキーズみたいにシェアハウスにはキッチンがないから、日本から届けてもらった炊飯器で、米や日本食店で手に入れた餃子とかを一緒に炊くぐらいです。

 

 

 

 

 

ザ、オトコ飯。僕は何でも炊飯器に放りこんでいました。たまに日本からシラスとかを冷凍で送ってもらった時なんて、バカうますぎてもう一度あの体験がしてみたい衝動に今でもよく駆られます。あの感動が忘れられない。きっとスプーキーズで自炊をしてる人も同じだと思う、後で懐かしくなるから。

 

 

 

 

 

あと他にも写真があれば良いのですが、当時は今みたいにスマホみたいに便利なカメラがなく、写真があまりないのです。あるのは旅に行った時のこんな風景写真ばかり。今、思えばもっと撮っておけば良かった。もし今あれば懐かしいだろうなと少し後悔してます。

 

 

 

 

 

僕がスプーキーズ関連で写真や動画を撮影しているのは、これが理由の一つでもある。現役の入居者さんは今はわからないだろうけど、特に情報量が多い動画は何年かしてみたら、とても懐かしいと思うもんですよ。それが後からくる楽しみだと思う。だから、スプーキーズの現役中は、今は見なくても出来るだけ残しておくと良いよ。後でわかるから。

 

 

 

 

 

例えば、スプーキーズで知り合い結婚した人達は必ず結婚式で使ってます。それを欲しがっていました。足らないからね。結婚式ではなくても、誰もが昔の自分の姿をみたら懐かしくもなります。綺麗に撮らないと女性陣は嫌がられますからそこだけは要注意。

 

 

 

 

 

男は自分で自分を撮る機会はあまりないから、撮影は第三者がいた方がいい。僕はアルバム用途と集客用途で必要だから、ずっと今は動画ばかり撮影してます。動画は写真とは違い加工ができませんけどね笑

 

 

 

 

 

話は戻しますが、自分の部屋にはアメリカ人ルームメイト(手ぐせの悪い笑)がいて2人部屋でした。だから、完全なるプライベートは無かった。でも、そこでの生活は毎週末がパーティーがあり、最初の頃は特に楽しかった。

 

 

 

 

 

だからその楽しかった体験が、結果的に後のスプーキーズ誕生に繋がっていったと感じています。その自分の体験がスプーキーズのコンセンプトやを創っていたんだと思う。今回はこれが言いたかった。

 

 

 

 

 

次回、第二話はアメリカから日本に帰国後に出会った嫁さんとの馴れ初めの話をします。これまた少し恥ずかしい話しではありますが、結婚をテーマにするのでまずは私から。なるべくシェアハウスにも関連する体験談をしたいと思います。その時、私の歴史が動いた。

 

 

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。ただ今、スプーキーズは絶賛9月新メンバーを大募集中です!お気軽に内覧にきて下さいね。

 

 

 

内覧のご予約はこちらから💁‍♀️💁‍♂️

 

アメリカ横断中の写真。今みたいにGoogleMAPなんてありませんからね、片手に地図持ってます。右下の場所はサンタフェ。
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