【静かなる警鐘 第3話】「“緊急事態”の名のもとに奪われるもの」ある日、何かが起きる✍🏻

【静かなる警鐘 第3話】
「“緊急事態”の名のもとに奪われるもの」
ある日、何かが起きる。
そして、その時こう言われる――
「これは非常事態だ。特例として、政府に権限を集中させる必要がある」
…それが、緊急事態条項というものの本質だ。
災害や戦争、有事に備えるという言葉は、たしかにもっともらしい。
でもその裏側には、「通常のルールを一時的に外せる権力」が潜んでいる。
つまり、憲法の効力を止め、国民の自由を一時停止し、
権力の命令に服従させる――
そういう枠組みを、法的に“合法化”してしまうということ。
この条項が発動されたとき、
それはたぶん静かに始まる。

テレビは「国民の皆さんのご協力を」と優しく呼びかけ、
SNSには「反対するのはデマだ非国民だ」といった空気が流れ、
そして、**“気づいたときにはもう戻れない”**という地点まで来ている。
自由とは、守ろうとしなければ、あっけなく消える。
それが“緊急事態”という名のもとに起きるのなら、
それはもはや自然災害ではなく、人災だ。
ほんとうにそんなものが必要なのか?
たしかに、有事に備える仕組みは必要かもしれない。
でも、それは憲法の人権を全文削除するほどのものだろうか?
法律や現行の制度で対応できるのに?
“わざわざ”憲法に書き加えようとする。
やっぱり何かおかしい、、
それは、“非常時”のフリをして、
じつは“平時の支配”を狙っているようにも見える。
この条項が一度入れば、
どんな政権が権力を握っても、
“非常事態”と宣言するだけで、すべてが書き換えられてしまう。連中はそれが狙いだと思う。
あの日のあの国のように。
戦前、日本もまた“国家総動員”という名のもとで、
国民の生活も言葉も命までも統制されていった。
「あの時代とは違う」と言える根拠は、どこにあるのだろう。
自由を守る最後の砦だった憲法に、
自ら“扉”を開けてしまうことの怖さを、
わたしたちはもっと感じるべきだと思う。

緊急事態とは、
“外から”やってくるものではないのかもしれない。
それは、“中から”作られ、仕掛けられ、
気づかぬうちに私たちの心の中にまで入り込んでくる。
これは静かなる警鐘。あまり深くは書けない。
シェアハウスの話しをしてる場合じゃない、、汗
声高に叫ぶことよりも、
静かに目を覚ますことのほうが、いまは大事かもしれない。