【憲法改悪シリーズ(最終回)】「憲法とは、国家を縛る鎖」

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シリーズ最終回、第5回(最終回)

「憲法とは、国家を縛る鎖」— 立憲主義と国民主権のラストチャンス

政治家など権力者にとって都合の悪いことは、

静かに、気づかれないように変えられていく。

それは大きな音を立てない。

法律も変わっていない。何もなかったの如く、街の風景もそのままだ。

でも、その変化は確実に「人の自由」と「生きる感覚」を奪っていく。もうこれが日本人にとってのラストチャンスです。

■ 憲法とは「国民が政府を縛るルール」

まず、これだけは何があっても忘れてはいけない。

憲法は“国民が守るもの”ではない。

憲法は“政府を縛るため”にある。

それが「立憲主義」という、

民主国家の根幹にある思想だ。

国が暴走しないように、

権力が市民を支配しないように、

「絶対に超えてはならないライン」として作られたのが、憲法。

多くの日本人が知らない話し。知っていても、ここを間違えて解釈しています。だからこそ、その憲法が変えられるときには、

私たちは最も注意深くならなければならない。

深田萌絵のショート動画①YouTube参照

深田萌絵のショート動画②YouTube参照

■ 今、まさに“その鎖”を日本政府が切ろうとしている

人権の条文を削除する 緊急事態には従う義務を課す 自由や表現の権利を「秩序や公益が優先」とする 国家の命令に疑問をもつことすら“制限の対象”になる社会

それはもう、民主主義ではない。

合法的な独裁国家への道だ。

しかもそれを、“美しい国”や“伝統”という言葉で包んでくる。

■ 国民主権という幻想が壊される瞬間

現行憲法には「主権が国民にある」と明記されている。

でも草案では、その文言は削除されている。

なぜなら、「本当の主権者は誰か?」という問いに、

もう明確に答えるつもりがないからだ。

代わりに登場するのは、「国」「秩序」「伝統」「義務」

――そして、静かな服従。

■ これがラストチャンスかもしれない

この改憲案が国民投票にかかれば、

おそらく多くの人がなんとなく賛成する。

「別に悪いことじゃないよね」

「有事に備えて必要だよね」

でも、そのときにはもう遅い。

気づかれないまま、鎖は外され、再び巻かれるのは“私たち”の首だ。

■ だから、今、声を出す

これは政治の話ではない。

思想でもない。右でも左でもない。

これは、「人間として生きるための最後の基準」が問われている話だ。

日本国憲法は、“私たち国民がまだ人間であること”を保証する事ができるたったひとつの砦となる

それを破ろうとする者に対して、どんなに言葉巧みに言われても信用できるものではない。

今の日本人に「違う」と言える人間がいるかどうか。

それが問われている。あなたの感覚は、未来を守る力になる

「おかしい」と感じる感性。

「違和感」を見過ごさない心。

それは、この時代において最も大切な“人間の証”だ。

最後に

日本国憲法は国家権力の暴走から国民を守る唯一の武器です。これが破られたら権力者の暴走は止められなくなります。この事をよく覚えておこう。

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