【憲法改悪シリーズ(最終回)】「憲法とは、国家を縛る鎖」
シリーズ最終回、第5回(最終回)
「憲法とは、国家を縛る鎖」— 立憲主義と国民主権のラストチャンス
政治家など権力者にとって都合の悪いことは、
静かに、気づかれないように変えられていく。
それは大きな音を立てない。
法律も変わっていない。何もなかったの如く、街の風景もそのままだ。
でも、その変化は確実に「人の自由」と「生きる感覚」を奪っていく。もうこれが日本人にとってのラストチャンスです。
■ 憲法とは「国民が政府を縛るルール」
まず、これだけは何があっても忘れてはいけない。
憲法は“国民が守るもの”ではない。
憲法は“政府を縛るため”にある。
それが「立憲主義」という、
民主国家の根幹にある思想だ。
国が暴走しないように、
権力が市民を支配しないように、
「絶対に超えてはならないライン」として作られたのが、憲法。
多くの日本人が知らない話し。知っていても、ここを間違えて解釈しています。だからこそ、その憲法が変えられるときには、
私たちは最も注意深くならなければならない。
■ 今、まさに“その鎖”を日本政府が切ろうとしている
人権の条文を削除する 緊急事態には従う義務を課す 自由や表現の権利を「秩序や公益が優先」とする 国家の命令に疑問をもつことすら“制限の対象”になる社会
それはもう、民主主義ではない。
合法的な独裁国家への道だ。
しかもそれを、“美しい国”や“伝統”という言葉で包んでくる。
■ 国民主権という幻想が壊される瞬間
現行憲法には「主権が国民にある」と明記されている。
でも草案では、その文言は削除されている。
なぜなら、「本当の主権者は誰か?」という問いに、
もう明確に答えるつもりがないからだ。
代わりに登場するのは、「国」「秩序」「伝統」「義務」
――そして、静かな服従。
■ これがラストチャンスかもしれない
この改憲案が国民投票にかかれば、
おそらく多くの人が“なんとなく賛成”する。
「別に悪いことじゃないよね」
「有事に備えて必要だよね」
でも、そのときにはもう遅い。
気づかれないまま、鎖は外され、再び巻かれるのは“私たち”の首だ。
■ だから、今、声を出す
これは政治の話ではない。
思想でもない。右でも左でもない。
これは、「人間として生きるための最後の基準」が問われている話だ。
日本国憲法は、“私たち国民がまだ人間であること”を保証する事ができるたったひとつの砦となる
それを破ろうとする者に対して、どんなに言葉巧みに言われても信用できるものではない。
今の日本人に「違う」と言える人間がいるかどうか。
それが問われている。あなたの感覚は、未来を守る力になる
「おかしい」と感じる感性。
「違和感」を見過ごさない心。
それは、この時代において最も大切な“人間の証”だ。
最後に
日本国憲法は国家権力の暴走から国民を守る唯一の武器です。これが破られたら権力者の暴走は止められなくなります。この事をよく覚えておこう。