防災の考え方|短期避難と長期避難は前提がまったく違う🎒

Pocket

― これまでの防災対策は短期向けでした。長期を考えると話が変わります ―

「防災対策って何をどこまでやればいいの?」という疑問は、実は“短期避難”と“長期避難”で答えが変わります。

本記事では、短期避難生活と長期避難生活の違いを整理し、

短期向け防災が長期では逆効果になる理由をわかりやすくまとめてみたい。

これまで当ブログでは、

地震や停電、台風などを想定した防災対策について書いてきましたが、

それらは主に、数日から数週間で元の生活に戻ることを前提とした「短期避難生活」を想定した内容です。

短期避難では、

支援物資が届くことや、行政・インフラの復旧を待つことが現実的な前提になります。

この考え方は今も有効で、防災の基本でもありますが、実は非常時のすべてが、これからは短期間で終わるとは限りません。

長期避難では、支援が限定的になるため、 長期避難生活で必要な準備が変わってきます。

状況が長引いた場合、

防災の考え方そのものを切り替えないと、

成立しない場面も増えていく。

短期避難生活と長期避難生活の違い

【防災の前提が変わる】

短期避難生活と長期避難生活の違いは、

準備する物の量ではなく、前提そのものであった。

短期避難で

「いずれ元に戻る」ことを前提に、

一時的な不便を我慢する判断が合理的になります。

一方、長期避難生活では、

いつ元に戻るかわからない 、、

支援が限定的、あるいは能登みたいに、途切れる可能性がある 。

生活を自分で回し続ける必要があるという前提に変わります。これを個人で対策しようとする考え方には無理があります。

この状況では、

我慢を続けること自体がリスクになり、必要になるのは消耗せず、壊れず、続けられること。

短期向け防災対策が、長期避難では逆効果になる

短期避難では有効な防災対策(備蓄など)も、

長期避難では無駄になることがあります。

大量備蓄は、、、

これね、管理と消耗の負担が増え過ぎる。実際にやってみたものの、、もう私個人には無理だ。俺1人ならいいが、、🤦

なぜなら、目立つ備えは、安心より不安を生む

我慢前提の生活は、心身が先に壊れる

個人完結型の備えは、長く続かない

長期を前提にすると、

「溜め込む」より、

回し続けるほうが安定しそうです。

短期防災は、

非常時を乗り切るための準備

長期防災は、

非常時の中で生活を続けるための話。

同じ「防災」でも、

前提が変われば考え方まで変わります。

防災とは、不安を煽るものではなく、

生活を壊さないための準備です。

本ブログでは、これまで短期避難を想定した防災対策についても書いてきましたが、それらの内容だと2、3日分の備えが限界だ。

私は大家族。だから、長年やってみて色々気づいた。これは現実的ではないってね、、スペースもないし、コスパも悪い、やってらんない。僕ですらこれですよ苦笑

さらに長期避難生活ともなると、短期避難生活ですら厳しいのに、、これは結論、政府が対応しないとどうにもならんね。

倉敷市は防災センターが、今月から新築オープンしている(倉敷市役所の敷地内)。

倉敷市は伊東市長(女性)が頑張ってますね。

防災に力を入れてる倉敷市は良い場所です。

シェアハウスの人達や他の人達も、あまり防災についての感心は低い。関心がある人は見つからない。それが悪いわけではなく普通です。

全国的にみて、倉敷市は西日本豪雨を乗り越え、川をつくり整備も終わりました。

次にまた同じ西日本豪雨になっても、もう水の流れを作る大規模な整備をしたので大丈夫らしい。

これは工事を受注した建設会社の社長から直接聞いた話しです。朗報ですね。

倉敷市は、全国的にみても災害に強いのが、一番の強みになるかも知れない。

結論、短期避難生活は2、3日。長期避難生活は倉敷市に任せる。これが現在、倉敷市に住む私なりの最適解です。

もっと良い方法(考え方)があれば、またご紹介しますね。備蓄やエネルギー資源がなくても、サバイバル的な生活ができるレベルに私自身はなりたい。

なりたい願望高めです。

無人島🏝️生活…してみたい、、

サバイバルごっこしてみたい、、

しかし、1人ならいけても、独りが堪えられない苦笑

ここから先の話は吉永小百合さんの話し。私と同じ考え方です。でも決して読まないでくださいね。

また長くなりますから。誰も知りたくない重いテーマです⤵︎

憲法と戦争、そして長期避難生活という現実

若い頃から、

吉永小百合さんが語ってきた

「憲法」と「戦争」の話を、

私はどこか遠いものとして聞いていました。

それは政治の話であり、

思想の話であり、

自分の日常とは少し距離のある世界の話だと

無意識に線を引いていたのだと思います。

しかし年を重ね、

生活を持ち、

守るものが増えるにつれて、

その話の意味は少しずつ変わってきました。

吉永小百合さんが繰り返し語ってきたのは、

「戦争が起きるかどうか」という議論ではありません。

戦争が起きたとき、

何が壊れ、

何が奪われ、、

どこまでが戻らないのか。

それが

思想ではなく、生活の問題だということでした。

憲法の議論も同じです。

賛成か反対か、

正しいか間違っているか、

そうした対立させられた話は、いつも声が大きくなります。

けれど、

憲法が本当に関係してくるのは、

議論の場ではなく、

非常時の現実です。

国家が非常時を想定し、

例外を認め、

「仕方がない」という言葉が増えていくとき、

その影響は必ず

個人の生活に降りてきます。

戦争とは、

銃やミサイルの話ではありません。

多くの人にとっての戦争とは、

・支援が来ない

・インフラが戻らない

・避難が一時で終わらない

・治安の悪化

そうした状態が

長く続くことです。

それはまさに、

「長期避難生活」と呼ぶしかない状況です。

長期避難生活では、

これまで当たり前だった前提が通用しません。

・助けが来るという前提

・すぐに元に戻るという期待

・我慢すれば乗り切れるという考え

そうしたものが、

静かに、しかし確実に崩れていきます。

必要になるのは、

強さでも、正しさでもなく、

続けられる生活の形です。

吉永小百合が語ってきた

「戦争を知る世代の言葉」は、

未来への警告というより、

生活の証言だったのだと思います。

戦争は、

ある日突然始まり、

そして終わったあとも、

長く生活を変え続ける。

その現実を、

言葉を選びながら、

繰り返し伝えてきた。

私は今、

防災や避難について考えるとき、

「短期」ではなく

「長期」を前提に置くようになりました。

それは恐怖からではなく、

悲観からでもなく、

生活を壊さないためです。

憲法の話も、

戦争の話も、

最終的に行き着く先は同じです。

それは、

「非常時に、

普通の人が

普通に暮らし続けられるか」という問い。

長期避難生活とは、

その問いに対する、

一つの現実的な答えなのだと思います。

この文章は、

誰かを説得するためのものではありません。

ただ、

生活の前提が変わる可能性があるという事実を、

静かに置いておくための記録です。

それだけで、

十分だと思っています。

もしこの先、

この記事が検索されることがなくても構いません。

必要な人に、

必要なときに、

そっと届けばいい。

私はそう思っています。

Pocket