お米騒動に隠れて。

「緊急だから、例外的にルールを変えましょう」
そう言われたとき、私たちは何を守るべきか、冷静に考える必要があると思う。
火事や大地震で、パニックのとき、
誰もが「どうにかしてくれ」と、たぶん思う。
そんなとき、国に求める声が強くなるのは、ある意味自然なことかもしれません。
でも、
たかが防災ですら、いつまでも解決できないような人達にこの国を任せてる。
罪務省解◯といくら叫んでも、やった感は確かにあるのだが、、
叫んでいるリーダーが、実は連中に仕組まれた安全弁である可能性があるってこと。
これは、コントロールド・オポジション(controlled opposition)という概念に繋がります。
体制に反対している仲間のように見せかけて、実は情報の流れや怒りの方向を“制御する側”に仕えているプロの工作員のことです。
ようするに大衆を扇動する任務です。見破るには相当熟練された人か、何か臭うなと鼻が効く人だけでしょうね。
深◯萌絵さんとかどう思う?
彼女の話は人を魅了しますね。
たぶん素人ではない。
本物なら良いですね。
ずっと見てます。
それより今は、もっと重要な法案がそんなニュースに隠されてしまい、
知らないうちに「人権」や「自由」まで手放してしまって、本当にいいのでしょうか。
憲法というのは、政治家が勝手なことをしないためにある「ブレーキ」なんです。
国家の権力が暴走しないよう、あらかじめ設けられた“縛り”です。これは国民を縛るものではない。
◯◯改正は基本的人権の尊重を全文削除しようとしています。にも関わらず、中身を知らない人がほとんどです。
それを、「今だけ特別に」「非常時だから」と言って人権まで外してしまうと、
一度緩めた縄は、二度と元に戻せなくなる。

スプーキーズでもそうです。
シェアハウスに住む人たちが自由に過ごせるために、あえて最低限のルールを決めています。
それは、みんなが気持ちよく暮らすために“自分で守る”ルール。
「少しだけだから」
「例外にしようよ」
という声が続くと、いつのまにか“誰のためのルールだったのか”がわからなくなる。
これは、シェアハウスに限らず、
ルールがあるから自由が守られる🗽

“自由”という言葉の本当の価値は、
非常時こそ試される。
今、憲法改正の話が進められています。
これは最も重要な改正です。
ただの手直しなら、誰も反対しません。
でももし、その中に「自由を削ること」や
「国民を縛る項目」が混じっているとしたら、
それは一度立ち止まって考えるべき、
大きなサインかもしれません。
スプーキーズは、誰にも強制されず、
誰にも奪われず、
今は多くを語らずに、
静かに“考える自由”を持った人が集まる場所で
ありたいと思っています。
新しい人と繋がって、
自由を満喫できるのも今のうち。
今日もご飯がふっくら炊けた。
世間では、お米が云々やってますよね。
美味しいご飯が食べれたら感謝できる。
何年も前から事前にお米を準備してきて、
米不足になる事も全てイメージどおり。
自分の判断は間違えてはいなかったが、
それでもまだまだ完璧ではない。
自然栽培米を売ってくれる方が見つかっても、
有事の際にはどうなるかわからない
地元生産者のご協力あっての私の生活。
安心レベルまであと一歩、いや2歩かな。
ありがとう🍙艶々!朝日米!
うちは大家族だから、
父ちゃんは大変なのw
東京弁護士会👨⚖️←今日の記事はこちらをみて感じた記事にしました。