【高千穂】天岩戸までのドライブ中考えたシェアハウスの“これから”

静かな場所ほど、本当の声が聞こえる。
先日、高千穂までドライブに行ってきました。
途中で別府温泉に入り、湯気に包まれながら何も考えずにボーっとしてた。
なんと高千穂まで車で3日もかかった笑
温泉宿に泊まったり、車中泊もしながら気のみ気のまま走ってました。山道を間違えて走っていたり、とりあえず無心で目的地の天岩戸神社⛩️へ。
神社に到着したら、巨大な岩の窟に、鳥居が静かに立っていて、
人はいても騒がしくない。
ただそれぞれが思い思いに、この場所の空気を感じている。
こういう場所に来ると、不思議と胸の奥が整ってくる。

「人って、本当は静かに生きたいんじゃないか」
そんな感覚がふっと湧いた。
昔のスプーキーズはワイワイ賑やかだった。
みんなで騒いだり、BBQしたり、イベントしたり。
それはそれで良い時間だったけど、
本音のところでは“空気を読んで運営していた”ところもあった。
でも今は違う。
潮目が変わっている。
コロナがどうとか、若者が内向的になったとか、
そういう表面的な理由じゃなくて、もっと深いところにあるんじゃないかと。
「人と生きたいけど、疲れたくない」
「無理に仲良くしなくていい距離感がいい」
「一人になれる安心感と、必要な時だけ交流できる場所がほしい」
世の中全体が、そういう方向に移っている空気を感じていました。
天岩戸の前に立っていたとき、
大げさじゃなく、本当にそう思った。

昼食は道の駅でごはんを食べた。
山菜おこわとよもぎ餅。素朴で優しい味だった。

静かで、誰も干渉してこなくて、
でも孤独じゃない場所←↑いや孤独すぎる、、写真は笑
人ってたぶん、これでも十分幸せになれる。
スプーキーズも、これからはそういう在り方でいいと思った。スプーキーズというより私自身かもしれない。私の年が原因かもしれないけど、、
「イベントしなきゃいけない」
「人間関係で盛り上げなきゃいけない」
私が勝手に思っていた義務感を手放して、
必要以上に距離を縮めない文化を守ったうえで、
自分のペースで過ごせる空気を大切にする。
今の時代は、“静けさ” こそ価値になる。
シェアハウスに住む人が、何も頑張らなくても心が休まる場所。
もう無理に人と繋がらなくてもいい、でもひとりじゃない。
そんなシェアハウスでいい。
だからといって鬱になるような意味でもない。たぶん、記事を書く伝え方かなとも思った。

旅は、場所じゃなくて“気づき”が目的になる時がある。
今回の高千穂は、まさにそれだった。
スプーキーズは、これから“少し大人のシェアハウス”になるよう育てたいと思うようになってます。
今はそれが必要な人にだけ届けばいい。
無理に求められようとしなくていい。
その方が、正しい人だけが自然と集まってくる。
潮が変わったなら、こちらも柔軟に変わればいい。それがスプーキーズの最初からあるコンセプトだなら。
真っ白なキャンパスに絵を描くかんじ。
焦らず、急がず、静かに、、
いま私が考えるべきことは、
■ スプーキーズの“中心コンセプト”は変えるべきなのか
■ それとも“表現と入口”だけ変えるべきなのか
この2択。
結論から言うと、
180°ひっくり返す必要はない
ただし
「入口のキャッチコピーとイメージ」だけ時代に合わせて再設計する
これが最適解。
鬱・引きこもり・逃げ場・無気力・人間嫌いを連想させるような事はキモイ笑
まぁ、大人の余裕マーケティングですかね。
→ 落ち着き・洗練・上質・知的・穏やか・丁寧な暮らし、、これからは、こんな↓感じの記事に、、
🟡 Before
「疲れた人が休める場所」
🟢 After
「成熟した大人が、自分の機嫌を大切にできる場所」
🟡 Before
「人に干渉されたくない人に向いている」
🟢 After
「大人だからこそ心地よい距離感で過ごせる」
🟡 Before
「静かで暗い人が集まる場所」
🟢 After
「静かで上品な雰囲気を好む人が集まる場所」
もし少しでも気になったら、いつでも内覧だけでもどうぞ。本音で語ります。
