空室はメッセージかもしれない|満室神話の終わりと再出発

空室はメッセージかもしれない。
最近、ふと思った。
スプーキーズがずっと満室だった頃、行列ができるシェアハウスってどうなん?みたいな笑
でも、あれって本当に“幸せ”だったのかなって。
もちろん、活気はあったし、笑い声も絶えなかったのは間違いない。
でも、コロナになって昨年ぐらいから問合せが激減して、空室が増えてわかったことがある。
まぁ、これはこれで小さな気付きであり、なぜか“風通し”が良くなった気がしている。
人が多いということは、情報も多い。
関係性も多い。どうしても巻き込まれてしまう。
でも、それが濃さを生むかというと、案外そうでもなかったりする。人にもよるみたいだ。
「こんにちは」ぐらいしか、言わないままシェアハウスで暮らしていた人もいる。
「掃除当番」の紙だけがコミュニケーションだった人もいる。
それって、満室であることが目的になってたのかもしれない。
でも今は、違う。ずっと満室というプレッシャーが消えたからだ。
空室だらけで、はっきり言って経済的にはしんどい。しかも他の物件も全体的に空室が増えている。
でも、不思議と“気”だけは整ってきてる感じがある。もしかしたら、失わないと手に入らないのかも知れない。
空室は、まるで“場”が呼吸しているように感じさせてくれる。
雑音が減ると、微かな音が聞こえるようになる。そんな感じ。
静かだからこそ、
今ここにいる入居者の声がよく届くし、
誰がどう生きているかが、にじむように見えてくる。
人が去ったあとの空間には、何かが残る。そして何かが始まる。
それは、「もっと良くしろ」っていうメッセージかもしれないし、
「このままでいいよ」っていう肯定なのかもしれない。
空室が続いたおかげで、理由もわからずに僕はブログをまた自分で書くようになった。
手を抜いていたわけじゃないけど、どこかで“他人事”になっていた気もする。
でも、自分で言葉を選んで、自分の体温で発信するようになってから、
問合せの内容が少しずつ変わってきた。
静かな空間が、本当に必要な人を呼び寄せてる。
そんな感覚すらある。
人が減ってくのは、寂しいことだ。
だからと言って、多すぎじゃね?ってこともよくある。他にも予定外に「余白」が生まれることでもある。
その余白に、何を描くか。
その想像力が、次のスプーキーズをつくっていく。
空室って、ただの“空”じゃない。
“空けて待っている”ともいえる。
誰かのために。何かのために。
そう思ったら、
この空室だらけの今も、悪くないなと思えてきた。
また会おう。
必要な人が、必要なタイミングで、この空間に来てくれる日まで。