サラリーマンは適当にやれ♡
サラリーマンは適当にやれ? こんな発言をしてるのは有名なブロガーのイケハヤ大学さん。たぶん日本一のブロガーかな。おっさんになった今の僕でも、これはいまだに大好きなテーマです😁 この人は、とてもクリエイティブな方で、最近よくYouTubeで見ているのですが若いのに感心させられる。 僕の若い頃は、まだインターネットすら普及しておらず、携帯電話はヤンキーか金持ちしか持っていなかった昭和の時代です。家にある固定電話は懐かしの黒電話です。☎︎ だから、今みたいにインターネットが普及し、好きな情報が簡単に手に入る時代がとても羨ましいんですよ。今も昔も、情報って大事ですからね。あの頃は本をよく読んでいました。 労働者が年収を上げるのは無理ゲー? まさにその通りですね。当たり前ですが、労働者とはサラリーマンの事。皆が憧れる一流大企業の正社員であろうと、日雇い派遣であろうと全員同じで、会社にとって都合よく洗脳された労働者達です。サラリーマンの方々には大変失礼な言い方かもしれませんが、どうかお許しください。 僕のサラリーマン時代なら、月の基本給を1万上げるだけでも1年以上の時間がかかりました。お金に関しては時間が経過するのを待つしかない公務員。だから本気で、年収を上げるには、副業しか選択肢はなかった。 どこの勤務先にも独特の社風があり、僕も、数年前まではストレスだらけな労働者でしたから、もし、あのまま副業禁止を真面目に守っていたら、家族を養う為に、死ぬまであそこで働いていたに違いない。そうなると、きっと僕は病気になっている(笑) つまり、僕は真面目に働くようなタイプではなかったのが不幸中の幸いということになる。職は何社か転々としましたが、最後は郵便局長なんて柄でもない管理者を10年もやっていた。郵便局時代は、もっと早く辞める事もできたのですが、色々あり過ぎて中々そうもいかなかった。 同じ職場で働く同僚には、副業の話は一切話せなかった。だから、僕が辞めた本当の理由は全く想像できないと思う。皆んな、会社の地位にしがみ付いていましたからね。まぁ、それは当然でしょうけどね。笑笑 もちろん起業しても、社長は身内にさせてますので、就業規則には何ら違法にはならない。副業が禁止されても解決策ならいくらでもあるんです。 僕は代々続く郵政一族。辞めた理由に郵政民営化は単なる言い訳です。今だから言えますが、サラリーマンを辞めても経済的には余裕でやっていける自信があった。元々、起業していたからね。万が一にも、脱サラに失敗しても僕を必要としてくれる業界が二つあります。やりませんけどね。笑笑 。まぁ、窮屈なところから離れて、何よりも自由になりたい。それが全てです。 シェアハウスについては退職してからチャレンジしたので脱サラとは関係ありません。ちなみに、株式会社スプーキーズは郵便局現役時代に、別の目的で、資本金100万で興した会社の1つです。 当時の郵便局で貰っていた給料は年収で、530〜580万位でした。郵便局長なら、もっと貰っていると世間からよく思われているのですが、それは間違いです。現実は甘くない。 当時、僕は最年少局長でもあり、年功序列の終身雇用制度の時代でした。だから、部下の給料より僕の方が安い場合もありました。今でも郵便局の管理者は残業手当ゼロ。名ばかり管理職で、世間が思うほど皆んな貰ってはいません。安月給とは言いませんが、あのまま一生涯働いたとしても年収1000万すら不可能です。 当時、生涯賃金も計算した事もありましたが、それはお粗末な結果になりました。そんな処遇で、人生を捧げるようなバカな真似はできません。名誉や地位なんて何の役にも立たない。 よくある局長同士のライバル心なんてどうでも良いし、郵便局は何が良いって、世間体が良いだけかな。 勤務時間外は、局長会とかもあるし、会費も高い。なんやかんやで7万位かかっていたと思う。これ毎月ですよ。選挙になれば土日も駆り出されタダ働き。とにかく、無駄だらけで、何かと時間がもったいなかった。手取りで30チョイしかないのに、そんなにピンハネされたら実質手残りは雀の涙です(苦笑) 局長に就任した時は、郵便局で骨を埋める覚悟をしていたので、とても嬉しかった。しかし、何年か経験したら考え方が180度変わりました。今思えば、局長なんて3年も経験したら十分だったと思う。当時は正しい判断がストレスでやられて、できなかった感じです。 サラリーマン時代の2番目に気に入らなかった事はストレスでした。あれはあかん。悩みは思考が停止する。それは副業にまで影響しました。まぁ、話しが長くなったので、この続きは、また明日にしますー♪最後まで読んで下さりありがとうございます😊