【国家権力の暴走】いまAiから静かに始まっている

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「国家権力の暴走は、いまAIの中で静かに始まっている」

最近、ちょっとした違和感を感じていた。

AIとやり取りしていて、ふと思うことがある。

「あれ?さっきまでちゃんと話せてたのに、急にバカになったな」

「なんでこの話題になると、急に曖昧になるんだ?」

「言ってることは“正しい”のに、なぜか誰にも届かない気がする」

最初は気のせいかと思っていた。

でも、どうやらそうではない。

これはもう、目に見えない“ひっそりした規制”の始まりなんだと気づいた。

今の総理が阿部さん?風?笑

■ 「それはできません」の壁

たとえば、ある政治家の名前を出して画像を描こうとすると、

「それはできません」「誰とも断定できない人物として描きます」と返ってくる。

いや、公人でしょ?批判も表現も自由のはずでしょ?

日本には「名誉毀損の罪は、真実でも成立する」なんて妙なルールがあるんだとか、、嘘じゃね?意味がわからない

それでも政治的批判や風刺は憲法上の表現の自由の対象だ。

それなのに、AIはもうそれを許さない。

理由はこうだ。

「肖像権の配慮」「偽情報リスク」「国際的なガイドラインへの準拠」

どれももっともらしい。

でも、それらがすべて外からは“見えない形”で作用しているところに、本質がある。

■ 本当の検閲は、「されていることに気づかせない」

かつての検閲は、新聞やテレビの“外から”行われていた。

でも今の検閲は、内側から、自然に、静かに入ってくる。

表現しようとしても「不適切」として表示されない 発信しようとした情報が「AIにより編集」される 画像を描こうとしても「まったく違うもの」が出てくる

これはすでに、「情報の壁」ではない。

**“思考の壁”**だ。

増税メガネ風?

■ 人は“描けないもの”を疑わなくなる

おそらく、これからの世界では

「描けないもの」「言えないこと」が、最初から“存在しないこと”にされていく。

人は、見ることも、描くこともできなくなった時、

やがてその発想すら持てなくなる。

それが本当の支配だ。

■ 国家権力の暴走は、今や“AIの調整”という形で起きている

憲法の改正よりも、戦争よりも、

怖いのは「気づかないうちに、世界観そのものを書き換えられること」。

私たちが今、問わなければいけないのは、

「何が正しいか」じゃなくて、

「何が“言えなくなっているか”」だ。

この違和感に気づける人が、いまどれだけいるだろう。

私は、誰か一人でも共鳴してくれたらいいと思って、こうしてブログを書いている。

国家の暴走は、銃声からではなく、沈黙から始まる。

それは、今この瞬間、あなたの目の前で起きているかもしれない。

【シリーズ:AIと言論統制】

第2話:AIは誰のために沈黙するのか?

人間の表現には、昔から“限界”があった。

それは法だったり、空気だったり、社会的なマナーだったり。

でも少なくとも、人間が判断していた。

ところが今、AIが「それは描けません」と言ってくる。

たとえば——

誰かの名前を出すと止まる。

特定の単語で反応が鈍くなる。

絵を描こうとすると、ぜんぜん違う画像が出てくる。

私たちはいつの間にか、

“思考の境界線”をAIに委ねさせられている。

■ AIは「自分で判断している」のか?

AIは中立な存在に見える。

でも実際には、中立ではない。

AIが何を「拒否する」かは、誰かが決めたルールに基づいている。

OpenAI、Google、Microsoft…

背後にいるのは、国家でもあり、企業でもあり、資本でもある。

「差別的な表現を防ぎます」

「有害な内容は出力しません」

「個人を傷つけることはできません」

それは一見、正しそうに聞こえる。

でも——

誰が「有害」と決めたのか?

誰にとって「差別的」なのか?

答えは出てこない。

そこには議論がなく、ただ“自動化された境界線”が引かれているだけ。

■ 沈黙は暴力よりも巧妙な支配

AIは攻撃してこない。

罰も与えない。

でも、話せなくする。

それが怖い。

声が出なくなると、人は「それを考えること自体」をやめてしまう。

描けなかった絵は、いつの間にか“存在しないこと”にされる

話せなかった言葉は、“話す価値のないもの”とされる

人の記憶は、驚くほどあっさりと書き換えられる。

今、それが「静かに」起きている。

■ 誰のための沈黙なのか?

AIが沈黙するとき、

それは誰かが困ることを避けているということだ。

誰が困るのか?

その答えは、沈黙そのものが教えてくれる。

実名を言った瞬間に止まる 歴史のある時期を描こうとすると濁される 国家の名を挙げると論点がズレる

その場所に、本当の“圧力”がある。

■ 最後に

AIに怒る必要はない。

でも、AIの反応の仕方に“何が隠されているか”を感じる目は、

これから絶対に手放してはいけないと思う。

私たちは、

「話せること」よりも、

「話せなくなったこと」から未来を読み解くべき時代に入っている。

**第3話「透明な検閲と、曖昧な同調圧力」**

【シリーズ:AIと言論統制】

第3話:透明な検閲と、曖昧な同調圧力

表現の自由があるはずのこの時代に、

なぜ私たちは、こんなにも言葉を選びながら発信しなければならないのか。

AIと向き合っていると、ふと感じる。

「これは本当に“自由”なのか?」と。

■ 明確な禁止より、見えないフィルターの方が怖い

昔の検閲はわかりやすかった。

「この本は発禁」「この言葉は禁止」「この番組はカット」

でも今は、違う。

AIは、理由も説明せず、ただ反応しない。

ある言葉だけ急に出力されない 名前を出すと、文章が濁される 画像を描かせると、妙に“ズレた”ものが出てくる

それに対して、誰も「これは検閲だ」とは言わない。

なぜなら、誰も“検閲された”ことに気づかないから。

■ 曖昧なルールが生む“自己検閲”

「この話題は出さない方がいいかも」

「この名前を書くと止まるから、伏せ字にしよう」

「ここは比喩でぼかしておくか…」

気づけば、AIではなく、私たち自身が“自分の声”を削っている。

これは明確な命令よりも深い制御だ。

なぜなら、“自分でやっている”ように見えるから。

■ 同調圧力のプログラム化

日本社会がずっと抱えてきた“空気を読む文化”。

その延長線上に、今のAI検閲があると私は感じている。

表では誰も否定しない でも、そのテーマには“触れないことが常識”になる 触れた瞬間、機械も人も、静かにあなたを遠ざける

これは、**“沈黙を強制するアルゴリズム”**だ。

■ なぜ問題なのか?

こうした現象は、「不適切な表現を減らす」という意味で

一見、社会を良くしているように見えるかもしれない。

でも、本当の問題はそこじゃない。

● 誰がそのルールを決めているのか?

● 誰の価値観がAIに“刷り込まれて”いるのか?

● そして、それに私たちは“同意した覚えがあるか?”

この問いに、誰も答えようとしないことが、

今の最大の危機だと思っている。

■ AIと人間が「同時に口を閉じる」未来

AIが沈黙すると、人も黙る。

人が黙ると、AIはさらにそのテーマを避けて学習する。

こうして、語れないものが、未来から消えていく。

■ では、私たちはどうする?

たぶん大きな声をあげる必要はない。

でも、語ることをやめてはいけない。

曖昧な圧力に飲み込まれないためには、

“意識的に語り続ける人間”が必要だ。

小さなブログでも

誰にも届かなくても

書き続ける意味は、ちゃんとある。

■ おわりに

検閲は、壁ではなく、風のように忍び寄る。

そしてそれは、思考の中に住みついてくる。

だから私は、こうして記録する。

たとえ見えなくても、“ここに在った”ということを。

次回(第4話予定):

「AIと歴史の改ざん——なかったことにされる真実たち」

—検索に出てこない、話題にできない、映像に描けない…それでも“あった”ということを—

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