イオン倉敷城🏯 城下町 『西阿知』

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我がまち、倉敷市西阿知町は地価が上昇し随分様変わりしておりますが、私が幼少の頃までは何もない『い草の町』でありました。今から108年前に建てられた初代西阿知郵便局の跡地に、スプーキーズをつくりました。今日は新メンバーが東京から引っ越して来られたのでJR西阿知駅まで迎えついでにニトリや薬局、スーパーなど日用品等を買いに、主に西阿知周辺をご案内しました。
西阿知
倉敷市西阿知町はその昔、古代吉備の穴海と呼ばれる海域で、高梁川の当時の河口沖であった。その後、高梁川の運ぶ土砂の堆積作用により、干潮時は干潟が広がるようになり1926年に高梁川の改修工事が完了。明治35年9月に西阿知村・甲内村が合併して河内村となり、現在の範囲が確定。
そして、大正11年の町制施を経て西阿知町に改称されました。今では複数ある西阿知地域の中核をなす地区であり、地区内のほとんどがかつては海域で、その昔私の家からは船がでていた。そんな、近世の干拓による地であるが、一部は古くから陸地で、新屋敷集落からは弥生後期式の土器が多く発掘されている。
戦国時代、天正年間からは毛利氏の勢力下となっていたが、江戸時代になると幕府領となり、当時松山にあった代官所の管轄となった。
明治24年7月、山陽鉄道が開通。国鉄になった後、大正9年5月に西阿知駅🚉が開業。今、JR西阿知駅の両隣はJR倉敷駅と新幹線もあるJR新倉敷駅に挟まれており、今や非常に人気な住宅街であります。
昭和期までは米・い草栽培と花莚の製造で栄えたが、現在はイオン倉敷、幹線道路が近くにでき宅地や商店・企業が大幅に増加ており、人口も急激に増加しているエリアとなる。西阿知町は、イオン倉敷城🏯の城下町となっている。シェアハウスは小さな旅の宿って感じでしょうか。岡山のシェアハウスは数少ないので満室でも内覧に来て下さいね。
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