ベトナム🇻🇳 ホイアン【 Thành phố Hội An】

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Thành phố Hội An ホイアンはベトナム中部クアンナム省の都市であり、ダナン市の南方30キロ、トゥボン川の河口に位置する古い港町。人口は121,716人。 ヨーロッパ人にはファイフォ 、フェイフォ(Faifo) と呼ばれたこともある。中国人街を中心に古い建築が残り、1999年(平成11年)に「ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界文化遺産に登録されているそうです。※Wikipedia参照 ホテルから寄り道してタクシーで一時間ぐらいかけてホイヤンに到着。 ここでの撮影はあまりできず、2つ旅の課題ができた。現物の写真はどれもボヤけているので絵画風に加工しました。じっくり撮影したかったけど落ち着いてできなかった。僕は鈍くさいので旅の道連れには普段から理解のある方をチョイス。まぁ、それでも難しい場合があるのですが、これも素敵な思い出となりますね(笑) ホイヤンはとても素敵な街並で船にも乗り灯籠流しもしました。人は多いのですが思っていた以上に灯籠の数が少なくて、またリベンジに来たいです✨ ↓®️君がGR2で撮影した実際の写真↓ 僕は今回の旅で5ヶ国目の海外旅行となりました。一年間の間に5回も行ったのは過去最古記録となる。次回から量より質にて、旅先には相当の事前準備をしていく事にします(笑)。僕はたぶんやれば出来るんですが、人に任せている場合は何故かわからないけど全く力が入らない人であった😵ふにゃ!卍! ↓これは結婚式でしょうか。船がすれ違いで移動しているから一瞬でしたがパシャリ📷✨2人じっと寄添い全く動かずにいて幸せそうでした😊まるで映画のワンシーンみたいです。 もう一つ反省があります。それはホイヤンの歴史的な背景を知らずに旅にでた事。たとえば、この町には朱印船貿易が盛んだった17世紀頃には日本人町があり、300人以上(1000人以上とも)の日本人が住んでいたと言われている。 1633年の第一次鎖国令(5年以上海外に住んだ日本人の帰国禁止)、1635年の第三次鎖国令(東南アジアからの帰国禁止)などにより、徐々に日本人は撤退した。その後ホイアンでは大火があり、現在の街並みはすべて19世紀以降のものになっているため日本街の遺構は残っていない。 日本人が造ったとされる来遠橋(通称「日本橋」)も建築様式が日本のものと異なることから、後年架け直されたものと思われるが、1993年(平成5年)から継続的に行なわれている昭和女子大学らの発掘調査により、橋のすぐ横から木杭や板材が見つかり、それが本来の日本橋の遺構ではないかと見られている。などなど。。 僕は現地で日本橋があると聞いた時、何故日本?とはおもいましたが、それ以上は深く考えませんでした。当然、どれが日本橋であるかも全く覚えてない💧上の日本橋の写真は気になって帰国後ネットから拝借したものです。後悔ちぅw それから、発掘当時は古伊万里焼の破片や日本独特の仏具である仏飯器なども出土したそうです。ホイアン郊外には1647年に没した谷弥次郎兵衛の名が刻まれた日本人墓地(昭和5年(1930年)に日本人によって修復)もあるらしい。これを知っていたらきっと行っていた⁉︎ また、郷土料理の汁なし麺のカオラウ(Cao lầu)は日本の伊勢うどんが変化したものではないかとする説もあるが、スープでなくタレをからめて食べる点の類似や、カオラウの漢字「高樓」が2階建て家屋があったとされる日本人街の通称「高樓」に由来するのではないかという推測からであり証拠はないみたいです。 カウラウ、、、これ確かに美味しかったです✨もっともっと食べたかった。なぜか3人で1皿を突いただけですので、まるで一杯のかけそば(笑)ベトナムは安いし食べ物はケチらずにがっつりいくのがベターですね。これも次回に活かします。 結果的に、ベトナムの料理は思っていた以上に美味しいです。タイと比べたら負けますが、ベトナムはベトナムでもダナンですからね(笑) まぁ、旅先では普通より美味しいなら満足できます。 料理にはパクチーがけっこうついてまわります。パクチーは良いのですが、ハエがたかるのは嫌ですな。ベトナムはハエが多いです(笑) ベトナムコーヒーは練乳で甘すぎるのでアメリカーノを一番良く飲みました。ちなみにベトナムにはスターバックスコーヒーはありませんでした。別に好きじゃないから平気ですがw ホイアン動画只今工事中です
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